弱いからこそ、見えてくる世界があります

今日はちょっと変な話をします。一般的には、弱いことは、あまり高く評価されません。多くの人が弱さを克服して強くなりたいと思っています。

まあ、その気持ちは、わからないではありません。僕も強くなりたくて、空手を習っていたくらいですからね。もっとも、長くは続きませんでしたが。

しかし、弱いからこそ、実は有利なこともあります。

弱いことが幸いしてカルト教団を逃げ出せた

僕は20代の2年間ほど、統一協会というところにいました。統一協会は統一教会と呼ぶ人もいますが、正式名称はもっと長いのですが、まあ、そんなことはどうでもいいでしょう。

洗脳されていた僕が、その統一協会を離れられたのは、僕の精神と肉体が弱かったからです。僕は洗脳されたままではありましたが、精神を病み、また、肉体的にも限界が来て、恐怖心に支配されたままではありましたが、統一協会を抜け出て、友人のところに身を寄せました。

その後、一度連れ戻されますが、寝てばかりいる僕を見かねた統一協会の上層部が、僕を解放しました。つまり、お払い箱にされたのです。

幸福の科学での活動と退会

自宅に戻った僕は、徐々に気力と体力を回復させました。そして、少しずつですが、洗脳のほうも解けていきました。ただ、この洗脳の解かれ方はゆっくりしたもので、何度も揺り戻しを経験しました。

もう宗教はこりごりと思っていたのですが、30代の中頃に、再び縁あって、別の宗教団体に入ります。それが、幸福の科学でした。

幸福の科学は統一協会に比べれば、洗脳も強くなく、明るい団体でした。そして僕自身、幸福の科学に入ってから、運勢が上昇していきました。そのため、次第に活動にものめり込んでいきました。

しかしやがて、教祖である大川隆法氏の言動の矛盾に苦しむようになり、50歳のときに、勇気をもって、大川隆法という人間を、まったくの第三者の目で、客観的に検証しました。

同時に、彼の説く教えも、検証しました。この作業には3年を要しました。そして、大川隆法と幸福の科学の間違いが、明確になった段階で、退会を決意しました。

「ありのままの弱い自分」を自覚することから始まる

カルト教団を批判することが、このブログの本意ではありません。ただ僕自身、タイプこそ違え、二つのカルト教団を経験することで気づいたことが多くあります。

そのすべてをここで話すことはできませんが、一つだけ言えることは、「自分の弱さが大いに役立った」、ということです。

僕が介護離職するまでの前職は、ビジネスホテルでした。その職場では、社長や上司、あるいはそれ以外の人間関係を通して、自分の弱さを再確認すると同時に、ありのままの自分を知ることができました。

そしてありのままの弱い自分を知ることが、実は大川隆法と幸福の科学の誤りを知ることにもつながっていったのです。

もし自分が、「ありのままの弱い自分」というものを自覚できなかったならば、生涯、大川隆法と幸福の科学の偽善を見抜けずに、大切な時間とお金をさらに浪費し続けたことでしょう。

僕自身の弱さについては、あっさりとではありますが、僕の別ブログの記事で書いています。

弱いほうが、物事がつぶさに見えることがある

弱い者のアドバンテージは、弱い者のほうが、強いものよりも、物事がつぶさに見えるという点です。このことは、とても大事です。

まず、物事をありのままに見ることが、第一の出発点になるからです。ここを見誤ると、ボタンの掛け違いのように、さまざまな不具合が生じます。

仏教においても、八正道の第一に、正見、すなわち「正しく見る」を置いていることからもわかります。

カルト教団の信者に共通して言えることは、ありのままに見ることができにくい、という点です。それは、教祖や教団に矛盾を感じても、自分の中で合理化する回路ができているからです。

人間は、基本的に自分を守ろうとするので、そうした合理化は、いたるところで起こっています。しかし、こうした合理化は、真実を見る機会を先延ばしにします。

そのため、いつも心理的不協和を胸中に抱えながら、活動を続けなければならなくなります。もっとも、信じ切っている信者は頭の中がお花畑なので、このような心理的不協和は生まれません。

今日はテーマが大き過ぎて、まとまりのないものになってしまいました。

僕が言いたかったのは、「弱さは悪いことではなく、いろいろな気づきへの良い機会になる」ということです。

たった一度の人生だからこそ、自分の心に嘘はつかずに生きていきたいと、思っています。

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