孤独に強くならないと、妥協する人生になる

最近とみに思うことですが、孤独というものに慣れていくことは大切であるということです。およそ人生で、大事な決断をするときというのは、孤独なものです。

人は誰しも存在理由を失いたくない

僕が人生の後半戦で、最も大きな決断をしたことは、足掛け18年ほど続けていた宗教団体をやめたときでした。これは、宗教団体に縁もゆかりもない人には理解しにくいことかもしれません。

それがどのような宗教であれ、その宗教団体で熱心な信仰生活をしている人は、そこが、その人のレゾンデートル、すなわち、存在理由にまでなっています。

存在理由とは、依って立つ基盤なので、人は、最後までその部分だけは死守しようとします。なぜなら、自分の根拠を失うからです。

日本人も、戦後一度それを味わっています。それまでの価値観が崩壊して、基盤が失われたことがありました。そうした場合、誰しもが一時的には混乱します。

一人立つ孤独

僕自身も、混乱は3年に及びました。その3年間は、とても苦しかったのを覚えています。しかしその3年間の体験とそのあとに得た結論は、今でも僕の宝です。

その3年間で得た宝物と引き換えに、僕は孤独を余儀なくされました。その孤独とは、組織から離れて、一人立つという孤独です。

当然、それまでの仲間とは、一部の人を除き、疎遠になっていきます。また、口にこそ出さなくても、去っていった僕に対し否定的な思いを持つ人もいたでしょう。

正直に生きる心地よさ

僕自身は、孤独の度合いを深めはしましたが、妥協せず、自分の本心に従って良かったと思っています。何よりも、心にわだかまりがありません。自分を誤魔化さずに生きているという心地よさがあります。

ことさらに孤独を志向する必要はありませんが、無理なく、嘘なく、ひたすらに自分の道を歩いて行けば、後悔のない人生が送れると思っています。

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