凡人は、君子以上に「危うき」に近づいてはいけない

君子危うきに近寄らず、という言葉があります。これは、「人格者は、自分のふるまいを慎み、危険なことに、かかわりを持たない」ということを意味します。

今日の読売新聞で、在宅ワーク詐欺についての記述があったので、上記の言葉を思い出しました。

手口を知ることの重要性

詐欺への対応は、まずは相手の手口を知ることから始まります。在宅ワーク詐欺の手口は、以下の通りです。

・登録料、契約料を請求される
・システム管理費、利用料を請求される
・研修に費用が掛かる
・教材を購入させられる
・専用サイトの制作費を請求される

簡単に言うと、仕事を探している人からお金を巻き上げる詐欺であるということですね。相手の、在宅で仕事をしたいというまっとうな欲求につけ込み、カモにしていくというものです。

カルト教祖の信者誘導にも一定のパターンがある

詐欺師には一定のパターンがあるので、それを見抜いてしまえば、どうということはありません。これは、カルト宗教についても言えます。

詐欺商法だけではなく、カルト宗教が信者を誘導する方法にも、一定のパターンがあります。

僕はすでにいかなるカルト宗教にも属してはいませんが、複数のカルト宗教を経験しているおかげで、彼らの手口はよくわかります。退会した今となっては、教祖の言動を見ても、「ああ、またやってるな」と見透かすことができるのです。

なぜカルト宗教は罪が深いのか

僕が詐欺商法以上に、カルト宗教に対して憤りを覚えるのは、相手の欲だけではなく、善意につけ込んでいる点です。勿論、欲の強い信者は、その欲の部分で操られるのですが、少なからず存在する善意の信者は、その善意の部分で、カルト教祖やその組織を信じているのです。ここが、大問題なのです。

ただ、いかなる大言壮語で自らを飾る教祖であっても、宇宙法則、あるいは因果の理法の中で生きている事実がある以上、自らの発した言行は、自らに帰っていくでしょう。偽りを多く口にし、多くの善男善女を惑わした罪は、自らが負うことになります。

僕はその宇宙の理法を信じているがゆえに、カルト教祖を憐れに思うことはあっても、あまり憎む気にはなれません。彼の将来は、その理法の中でおのずと決まっていくからです。

距離を置き、静観することの功徳

詐欺商法にせよ、カルト宗教にせよ、関わらなければ、被害はありません。君子ですら危うきに近づかないのですから、僕たちのような凡人は、なおのこと、危うきに近づいてはいけません。距離を置き、静観することです。

裁きは、神が行います。あるいは、神の理法、仏の理法が、行います。宇宙法則と言ってもいいでしょう。

そのような、人知を超えた仕組みが、自動的に因縁因果をもたらすので、僕が憤る必要はないのです。

下手に憤って心を乱すよりも、平安を求めて、今日も一歩をすすめることが肝要です。何よりも心に平安がなければ、楽しい人生は送れません。

客観性を持った賢さを持つことが、この人生を楽しく生き抜いて行くためには不可欠であることが、今になってしみじみとわかったことの一つです。

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