僕は二十代の頃、統一協会に2年在籍していました。そして30代から50代初めまでの、18年弱を、幸福の科学の会員として活動してきました。この二つの団体を経験したことは、今の僕の人間形成に大きな影響を与えています。
幸福の科学を退会する前の3年間は、逡巡と葛藤の日々でした。
しかしこの3年間、正直に自分と向き合うことができたおかげで今があると思っています。
自分の依って立つ基盤が失われる苦しみ
統一協会をやめたときの僕は、まだ洗脳が解けていない状態でしたので、その苦しみは筆舌に尽くしがたいものがありました。その苦しみを語るだけで夥しい量になるので、今回は割愛します。
統一協会の洗脳が完全に解けるまでは、そこを逃げ出してから8年が必要でした。そして統一協会での洗脳を解くのに、最も役立ったのが、幸福の科学の教えでした。
統一協会で、堕落人間とされ、悪魔の子、サタンの子という刷り込みを受けていた僕は、幸福の科学の、仏の子であるという、光を大きく肯定する教えにより、原理講論(統一協会の根本教義)の呪縛を解いていきました。
幸福の科学の教えによって救われたのは事実です。このことは、今でもはっきりと言えます。ですから、その点は、今も、大川隆法と幸福の科学には感謝しています。その感謝報恩の気持ちがあったからこそ、幸福の科学の活動にも邁進できたのです。
しかしその幸福の科学の教えにも激しい矛盾を感じるようになり、勇気をもって教えに対する検証を始めたのは、僕が50歳のときでした。そして、3年間をかけ、「自分の依って立つ基盤が失われる苦しみ」と戦いながら、丁寧に検証をしていきました。
理性と感性との戦い
この3年間の教義の検証期間は、僕の内面においては、同時に、理性と感性との戦いでもありました。それと言うのも、僕は、いくつかの霊的体験をしていたからです。
幸福の科学の精舎などで、光体験をしたこともありましたし、研修などで貴重な気づきを与えられたことも、数多くありました。こうした経験を重ねるにつれ、感性においては、ますます教祖とその教えに対する信頼は強くなります。
しかしその一方で、僕の理性が納得できないところが増えていき、謂わば、理性と感性とが、せめぎ合っていたわけです。そして感情的には、今更この教えが間違いだとは思いたくないという気持ちが強く働き、不都合な真実には目を瞑る習性ができていました。
しかしその状態では、一向に、理性が納得しませんでした。その理性の力が日増しに強くなるにつれて、僕は次第に覚悟を固めていったのです。疑問から逃げずに、真正面から見据えて、取り組むことにしたのです。結果がどうあれ、自分の本心に誠実に生きることにしたのです。
理性と感性がせめぎ合うさまは、生木が裂かれるような苦しみ
苦しみと葛藤は、3年続きました。ただ、その苦しみの中で、統一協会の洗脳を克服した体験が、役に立ちました。統一協会の洗脳を解く手助けをしてくれた幸福の科学の教えの矛盾を正面から見つめるのに、今度は統一協会の洗脳を克服した体験が役に立ったのです。
同時に、シルバーバーチをはじめとした正統派のスピリチュアリズムの学びを深めることにより、真実の霊性というものが少しずつ理解できるようになったことも大きかったと思います。
幸福の科学で、僕はいくつもの光体験をしましたし、統一協会においても、いくつかの神体験をしてします。どちらの団体もタイプは違いますが、霊的な体験というものはあり、そうした体験を一度でもしてしまうと、人はなかなか、その教義に疑問を持つことはありません。
僕はこの二つの団体と、さらに言えば、親の代から信仰していた世界救世教においても、魂が高揚する霊的な体験を経験しています。
つまり、個人の主観は、その個人においては真実の体験ではありますが、それを普遍的真理に結びつけるには、かなり無理があるということを、僕は体験的に熟知しています。
決して個人の光体験や霊的体験を軽視するわけではありませんが、そうした体験を経験したからと言って、その団体が正当性を持つわけではないということです。
たとえば、上祐史浩もオウム真理教で、ニルヴァーナを体験しています。そのニルヴァーナが、たとえ彼の中では真実であったとしても、だからオウム真理教が正しい団体とはならないのと同じです。
幸福の科学を退会するとき、最後まで抵抗した僕の感性も、最後の最後には、僕の理性の光に納得せざるを得ませんでした。個人の内面において、理性と感性がせめぎ合うさまは、生木が裂かれるような苦しみです。
しかしその苦しみを経ずしては、迷妄を打ち砕くことはできなかったのです。
いずれにせよ、自分からは逃げられない
今の僕はまったくの自由で、束縛もなく、自分を殺すことなく、統一協会と幸福の科学とを眺めることができます。統一協会も幸福の科学も、タイプこそ違え、どちらもカルト宗教です。
ただ、幸福の科学のほうが自由と明るさはあると思います。それと、幸福の科学のほうは、洗脳はあまりありません。ゆるやかなマインドコントロールはありますが、それは、他の宗教団体にもあります。
それと、幸福の科学は、破壊的なカルト宗教ではありません。大真面目に世の中を良くしていこうと思っている団体であり、一定の正当性はあると思っています。
僕自身は、統一協会の元信者とも、また、幸福の科学の現役の信者とも、未だに付き合いがあります。団体は離れても、個人的な付き合いは続いています。
宗教の自由は憲法で保障された人権である以上、何を信じようと各人の自由です。ただ、その宗教を続けるにせよ、やめるにせよ、自分からは逃げられないということですね。
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