仕事で命をすり減らすくらいならば、質素な生活で生き延びるほうがまし

仕事で疲弊する人が絶えない状況が続いているのは、日本ばかりではないでしょうが、僕も満員電車で疲れた顔をしているサラリーマンを見るたびに、人生とは何なのかを、考えざるを得ませんでした。

政府はすでに、このままでは年金制度が立ちいかなくなることがわかっていたため、「一億総活躍社会」という謳い文句のもと、「みんな70歳まで働け!」という方針を押し進めています。

ただでさえ疲れているサラリーマンを、死ぬまでこき使うつもりのようです。

2014年に行なわれた公的年金の将来見通しを試算した厚生労働省の財政検証では、高齢者の労働市場への参加が進むケースとして、2030年の65~69歳男性の労働力率を67%と想定し、そうなれば現行水準並みの年金給付が維持できると、政府は考えているようです。

この試算が意味するのは、3分の2の男性が70歳まで働き続け、年金保険料を払い続けることが、年金制度の崩壊を免れるための絶対条件だそうで、逆にいえば、それが実現できなければ、所得代替率(厚生年金収入の現役世代の手取り収入に対する割合)50%以上の年金給付は維持できなくなるということ。

制度を維持するために、人間は生きているのではありません。

幸せになるために、あるいは、幸せであるために、生きているんですよ。

一方、欧米でミニマリストが流行り、タイニーハウスが流行ったように、ミニマムに暮らすことで、余計な出費を避ける風潮も出てきています。

これは、賢い流れだと、僕は、思っています。

押し付けられた価値観、

よりも、自由な生活を満喫すべく、主体的な生き方をすることのほうに、向かっているからです。

人が幸せになるのに、大きな家は要りません。

経済の歯車にされるよりも、自らが選び取る主体としての人生のほうが、いいに決まっています。

仕事で命をすり減らすくらいならば、質素な生活で生き延びるほうがましだと、僕は思って、今日も生きています。

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