昨日、久しぶりに東京に行こうかなあ、みたいな記事を書いたのですが、今日は、40代無職の僕の知人の話。
その40代無職の知人は、荻窪でアパート暮らしをしていたのですが、アメリカ株で多少の資産を築いてからは、中古マンションを買って住んでいます。
彼の持論は、中年無職だからこそ、大都会でなければ暮らせない、というモノ。
特に、荻窪や高円寺、中野といった中央線エリアは、彼は住み慣れていて、楽なのだそう。
まあ、それはよくわかりますねえ。
中途半端な田舎町や地方都市での、中年無職男の平日の外出は、多少は、はばかられるのかもしれません。
僕のように、還暦になってしまえば、その点は、楽なのですが。
冴えない、無職然とした中年男も、委縮することなく、自由でいられるのが、東京などの、大都会なのだな、と。
これはもちろん、大阪や福岡、などの他の大都市も、一緒だと思います。
荻窪に住んでいる彼は、ある程度資産を築いた後も、自分のことを客観視して、ダメ系と呼んでいますが、おそらく、かつて、一世を風靡した、ダメ連の影響もあるのかと。
「だめ連」は「だめをこじらせる」という意味の言葉として使っていました。世の中の仕組みにあわせて働いていくのがつらいといった人々がそこには集まっていました。朝起きて電車に乗って会社へ行く、これは当たり前の行為とされていますが、果たして本当にそうなのでしょうか。働く場所を選ばないノマドワークなどがよく知られるようになった現在からみれば、90年代の「だめ連」の問いかけはラジカルなものであったといえるでしょう。
さらに「だめ連」のダメには、恋愛ができない、結婚ができない、なによりお金がないといった問題もありました。これも現在における独身者の増加などに顕著に表れているといえるでしょう。もとより「だめ連」が鋭い指摘をしていたのではなく、すでにそうした時代が到来しつつあるのに、ポストバブルの雰囲気に流されるまま享楽的な時代を過ごしていたのが90年代の人々であったといえるかもしれません。
上記は、ダメ連を、あっさりと説明したサイトからの記事ですが、

主催者の神長さんや長谷川ペペさんは、僕よりも、少し下の世代。
でも、気持ちはよくわかりましたねえ、僕も職を転々として、この世界になじめないまま、もがいていましたから。
さて、中年無職の知人に話を戻すと、都会の無関心と多様性が、中年無職男の彼には居心地が良いようです。
まあ、それも、アメリカ株で資産を作ったからの話で、金のない無職にとっては、東京は砂漠のように生きづらいのでは、ないでしょうかね。

うーん、僕などは、沖縄のほうが暮らしやすい気がするのですがねえ。
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