人は働くために生きるのではない

新型コロナウイルス対策として国が支給する1人10万円の特別定額給付金を巡って、一部で生活保護バッシングが起きているという記事が、先週の西日本新聞に掲載されていました。

読者投稿コーナーには「働かざる者、10万円もらうべからず」という趣旨のコメントが相次いだそうです。

こういう話になると、よく登場するのが、藤田孝典さん。

以下は、その西日本新聞からの引用です。

 「一番大きいのは妬み、そねみ。自分は頑張って働いているのに、何で『怠けている人』に生活保護や10万円まで与えるんだという思いがある」。藤田さんはこう説明する。

 生活保護の受給資格がある人のうち、実際に受給している人の割合(捕捉率)は推計2割程度とされる。受給せず「頑張っている」人や、努力して貧困から抜け出した人には、受給者は「怠けている」と映るのかもしれない。だが藤田さんは「頑張れない社会構造」の存在もあると指摘する。

 厚生労働省のデータによると、今や労働者全体の約38%を占める非正規雇用。長時間働いても、正社員との賃金格差は大きい。蓄える余裕がないから、さまざまな資格を得ようと勉強し直して正社員を目指すことも難しい。病気やけがをすれば正社員のような企業からのサポートは受けられず、生活保護が必要な状況に追い込まれやすいのだ。

 さらに、困窮する家庭の子どもは教育投資が受けられないなど、「頑張れば報われる」という自尊感情が育ちにくい環境にある。「前向きにチャレンジできなくさせられる、それが貧困なんです」と藤田さんは訴える。

 生活保護は、国が国民に最低限度の暮らしを保障する、最後のセーフティーネット。憲法の生存権を持ち出すまでもなく、当たり前の権利だ。なのに世論は、バッシングと反バッシングの間を感情的に行き来してしまう。その根っこにあるものとして、藤田さんは「労働倫理の異常な高さ」を挙げる。

 「24時間戦えますか」と頑張って高度経済成長を果たした日本では今なお、定時に退社したり、余暇を楽しんだり、仕事を辞めて次の職をゆっくり探したりする「余裕」が許容されにくい。「人は何のために働くのか、根本的に問い直す必要がある」と藤田さん。人は働くために生きるのではない。ずっと頑張り続けなければならない社会なんて息苦しすぎる。

人は働くために生きるのではない、ずっと頑張り続けなければならない社会なんて息苦しすぎる、との言葉は、藤田さんではなく、この記事を書いた記者さんの言葉だと思いますが、その部分は同意、です。

働くために生きるのは、奴隷労働を強いられる労働奴隷。

そして、その奴隷労働から早々にリタイアを目指す若者も増えています。

まあ、その気持ちはわかります。

あるいは、子供部屋おじさんに代表される、実家暮らしのまま働いたり、働かなかったりといった、半分ニートみたいな人も、増えていますね。

実は、僕の従兄弟が、それ、なのですが。

ただ、今後、生活保護受給者が増えると、国の財政負担も増えるわけで、そのツケはまた、勤労者に来るわけです。

するとまた、勤労者ばかりが割を食うわけで、どうにも、やり切れない気持ちにもなりますね。

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