僕が懸念するのは、貧富の格差の拡大

つくづく実感するのですよ、今の時代の便利さは、誰かの犠牲によって生み出されているんじゃね、ってね。

で、僕が懸念するのは、貧富の格差の拡大。

誤解しないでくださいね。こんなことを言うからって、僕は共産主義者じゃありません。

努力相応に報われる社会のほうがいいと思っているので、結果平等ではなく、機会平等であるべきだ、という考え方。

ただ、悲しいかな、機会平等にしたとしても、各人の努力やその他の運不運によって、その果実である結果には差が出てきます。

その結果の差が、端的には、貧富の差となって現れます。

で、その貧富の差というものは残酷なもので、この資本主義社会では、お金持ちが圧倒的に有利な立場にあります。

たとえば、僕が介護離職するまで働いていたビジネスホテルのオーナー社長などは、証券会社から優先的特権的に、IPO(新規公開株)なども割り当てられていました。

ふつうは、応募してから抽選で選ばれるのですが、証券会社も特別な顧客には、そうした優遇措置を取ることを、僕は見て知っていました。

IPOであれば、ほぼ確実に、初値売りで利益を出すことができます。ごくまれに、初値が公募価格を下回る公募割れ、というのがありますが、そんな銘柄であれば、そもそも証券会社は、大事な大口顧客に話を持ってきません。

つまりですね、何が言いたいかと言うと、お金持ちのところには、勝手に、美味しい話が転がり込んでくるということ。

まあ、オーナー社長が潤沢な資金力を持つこと自体は、回りまわって、従業員でもあった僕にも、良い影響をもたらすので、僕は、そうしたことも、肯定的にとらえていました。

僕は、自分で言うのもなんですが、お金持ちに対して全く嫉妬しないのですよ。お金持ちは、経済を循環させるポンプのようなものだと思っているので、お金持ちがいないと世の中は回っていかないのですよ。

で、話を元に戻すと、お金持ちがいるのはいいことなのですが、同時に、貧乏に漬物のように漬け込まれて、働いても働いても生活が苦しい人がいるのも事実。

で、働かざるを得ない人が、無理して働いて、その人自身の生活はかなり精神的にも追い詰められていたりするのを見ると、今の時代の便利さというものは誰かの犠牲の上に成り立っているとしか思えません。

たとえば、もう何年前になるのか、スキーバスの事故で、多くの若者がなくなりましたが、そのスキーバスの運転手は、65歳の男性。

彼は、生活に追われながらも、本来は、小型バスで近距離を専門にしていた人。

ところが、契約社員として入社したバス会社では、不慣れな大型バスの遠距離の運転をさせられ、断ることができなかったと言います。

生活費も底をつきやっとありついた会社で、彼は必死だったのだと思います。

長距離バスの運転を断れば、また、路頭に迷うことになりますからね。

格安のスキーバスには、少しでもお金を節約したい若者たちが乗っていました。

生きるためのお金のためにハンドルを握り雪道を走る高齢ドライバーと、スキーバスの費用を少しでも抑えたい裕福とは言えない学生たち。

自らもその事故で亡くなった高齢ドライバーの男性は、家族や身内のいない孤独老人で、遺体の引き取り手もなかったそうです。

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