無料という隙間をめがけて走っていく水脈のような自分

無料というワードに引き付けられるのも、少ないお金でやりくりしているから。

図書館に行くのも、図書館をはじめとした公共施設は無料だから。 

でも、その図書館も、コロナの影響で閉館。

こうなってくると、金のない年寄りや、年寄だけでなく、金のない人は、行く場所が狭められます。

さて、図書館が閉まっていたので、無料で入れるメッツァビレッジに行った理由も、無料というワード。

つまり、よくよく考えてみると、僕は、無料、という名の餌に、動かされた行動をしていたというわけ。

これがもし、多くの資産があり、潤沢なレジャー資金があれば、無料というワードよりも、自分が行きたいことろ、やりたいことを、お金を気にすることなく、行けるし、できるというわけ。

まあ、そうしたことを、改めて、感じました。

なんかこう、無料という隙間をめがけて走っていく水脈のような自分を感じたのですね。

どこまでせこいねん、と。

ただ、これをせこいととらえるのではなく、賢い、とも、良いほうに解釈し、まあ、そんな解釈が成り立つのも、お一人様だからこそ、なのですがね。

これが、妻子がいたら、どんだけせこい男やねん、と、言われますでしょうねえ。

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