コンテンツがありすぎる割には時間がない

僕は、映画館まで足を運んで映画を見ることはほとんどありません。

その理由の一つが、まだ大量の録画したままになっている映画があるからでもあります。

ネットで番組表を見て、とりあえずこれ面白そうだと思ったものは、映画でもドラマでもドキュメンタリーでも撮り貯めておきます。

そして映画でもドラマでも、最初の30分は、つまらなくても見ます。

それでもまだつまらないと思ったら、見るのをやめて消去。

こうでもしないと、現代という時代はコンテンツがありすぎてとてもではありませんが見切れないのですよ。

さらに僕には、読みたい本が山ほどあります。

目も、老化とともに疲れやすくなっているので、いくら読みたくでも、一日に読める量には限りがあります。

さらには今は、これに、ネットでの閲覧が加わります。

お気に入りブログを一巡するだけでも、かなりの時間を要します。

つまり、何が言いたいのかというと、コンテンツがありすぎる割には時間がないということ。

現在フルリタイアの僕ですらそうなのですから、これで働いていたら、余計時間はないでしょう。

現代人は、一日30時間くらいないとこなせないほど多くの情報とマスト案件が多すぎるのですよ。

なので、情報においても、意図的に断捨離していかないと、収拾がつかなくなります。

僕は、今でも時々ジャズを聴きますが、若い頃、ロックにハマり、その後、ヒュージョンやジャズに移行したころ、ジャズのレコードの枚数が多すぎて、とてもこの森に入り込んだらえらいことになりそうだと、早々に撤退したのを覚えています。 

なので、ジャズには、ロックほどには深入りはしませんでした。

これは、クラシックも同様で、ジャズにせよ、クラシックにせよ、浅いところで楽しんでいます。

まあ、ロックは、多少深いところまでもぐりこんだようには自覚していますが、それは向こう見ずの十代の頃だったからできたこと。

で、これからは、さらに情報の咀嚼力は落ちていくわけで、それを覚悟して日々を生きていかねばと、思っています。

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