簡素であることが、暮らしの本質

昨日は、かつて、高尾と逗子で、共同生活をしていた、MK氏のところに、久しぶりに電話。

通常この時期には、高校時代から続くサークル仲間同士で会うのですが、 今年はコロナでそれも流れたので、近況報告を兼ねての電話。

高尾と逗子で、共同生活、と言っても、もっぱら住んでいたのは僕で、ときどきやってくる、MK氏とあと女性二人、に、それぞれ、1万円ずつ出してもらい、僕ももちろん1万円を出して、そのお金で、高尾のときは一戸建てを借り、逗子のときは木造アパートの2階で、暮らしていたわけです。

僕以外の3人は滅多に来なかったので、それでも律義に1万円ずつを出してもらっていたのは、ありがたい話。

で、昨日は、MK氏とは、そういう昔話は一切しなかったのですが、そんな昔のことも、あとになって思いだした次第。

で、そのMK氏ですが、ちょうど、勤務中でした。

僕が誰かに電話する際、必ず訊くのは、今、話していても大丈夫か、ということ。

MK氏は勤務中だが、一人なので(ちなみに彼は施設警備の仕事をしています)大丈夫だよ、と。

まあ、いろいろとお互いの近況報告などをして、MK氏は今も湘南台で暮らしていて、実家のある狭山市には、90代のお母さんが一人。

都内に住む妹さんが、週一で、実家には顔を出しているとのこと。

で、このまま、MK氏の話をしていると途方もなく長くなりそうなので、この辺にして、しみじみと思ったのは、スッキリとシンプルに暮らす生活の良さ、について。

風通しのいい関係、風通しのいい環境が、スッキリとシンプルに暮らすための必要条件なのかなあ、と、考えています。

簡素であることが、暮らしの本質、ですからね。

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