欲しいものが得られなかったからこそ到達しえる境地というものがある

僕は、「なぜ、今、自分が幸せなのか」を、考えてみました。

そして得た自分なりの結論は、自分の望みがかなわなかったからこそ、この今の心境に至ったのだ、という逆説的なものでした。

わかりにくいですよね。

では、以下の詩を味わってみてください。

大きなことを成し遂げるために、力を与えて欲しいと神に求めたのに、
謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった

偉大なことができるように健康を求めたのに、
より良きことをするようにと、病気をたまわった

幸せになろうと、富を求めたのに、
賢明であるようにと、貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、
得意にならないようにと、失敗を授かった

人生を享受しようとしてあらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと、命を授かった

求めたものは一つとして、与えられなかったが、
願いはすべて聞きとどけられた

神の意に添わぬ者であるにもかかわらず、
心の中の言い表せない祈りは、すべて叶えられた

私はもっとも豊かに祝福されたのだ

これは、作者不明の「グリフィンの祈り」と呼ばれているもので、アメリカのある病院の壁に、ベトナム戦争の帰還兵が書き付けたものと言われています。

作者が不明というのが、ますますいいですね。

僕は老子が好きなので、この詩に、道、すなわち、タオを、感じます。

僕のことに話を戻すと、僕はやりたい仕事に就くことはできませんでした。

そしてまた、結婚したいと思った女性と、一緒になることはできませんでした。

仕事と恋愛、あるいは、仕事と愛、と言ってもいいでしょうが、人生におけるかなり重要な二つのことが、不如意に終わったわけですね。

仏教的に言うと、求不得苦、すなわち、求めても得られない苦しみ、です。

で、それは確かに、当時としては苦しかったのですが、人生は奥深いのですよ。

欲しいものが得られなかったからこそ到達しえる境地というものがあるのです。

別に僕は、悟りをひらいた聖人でもないし、ただの凡夫なわけですが、僕は、負け惜しみではなく、欲しいものが得られなくてよかったのだ、と、今は実感しています。

ここは説明が難しいし、もしかしたらその必要もないのかもしれませんが、人生は本当に奥が深いのだな、とは、思っています。

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