「業務遂行能力」とか、どうでもよくね

「仕事を遂行する能力」の別の呼び名は、「業務遂行能力」。

で、会社などでは、この能力一つで、人格まで推し量られたりします。

これを、僕は、理不尽と、呼んでいます。

いや、呼んでいました。

もう、正社員じゃないからね。

過去の話です。

さて、ルーチンワークを1日10時間も続けられる能力、上司に理不尽な指示をされても我慢して従える能力、台風や風邪でも自分の身体の危険を省みず会社に行ける能力、気に入らないことがあっても周りが動かないなら自分も動かない、空気を読む(笑)能力…などなど、「業務遂行能力」というモノは、改めて考えると、実に多岐にわたります。

まあ、ひろゆき的に言うと、そんなもん、どうでもよくね、ということになりますかね。

泣きも笑いもする感情のある自分を、意思も感情もないロボットに落とし込む能力のことを「業務遂行能力」と呼ぶこともありますね。

で、世間の人達はこのろくでもない「業務遂行能力」を高めるため、自己啓発書を読んだり、場合によってはセミナーに出たりして、自己成長という名の人間性を捨てる作業を嬉嬉として日々行っているわけですよ 。

ひろゆき的に言うと、自己啓発書なんか読む暇があったら早く寝ろ、と。

睡眠が足りていて、人間らしい情緒があって、初めて、まともな生活なのですよ。

そのまともな生活を犠牲にしてまで、高収入を追いかける必要はないし、最悪の場合、そうまでしながら、高収入でさえなかったりします。

ただ生きていくということだけのために、社畜に飼いならされている人もいるかもしれません。

この呪縛を解く言葉は、自分ファースト。

自分が幸せでなければ、会社が発展しても意味がない、です。

この会社のところを、他の単語、たとえば、家族、に置き換えても、同じです。

自分を犠牲にしてはいけないんです。

良い人を、演じさせられてはダメですよ。

長年カルト宗教から搾取されて来た、これが僕の、結論です。

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