会話する相手によって、引き出されるパートが違う

会話とは、まことにおもしろいものだと思います。それは、会話する相手によって、自分の中から引き出されるパートが違うからです。

このことは、僕は昔から不思議にも思い、また、おもしろくも思っていました。会話も、ある意味、音楽で言うところのチューニングなのかもしれません。

立ち向かう人の心は鏡なり

「立ち向かう人の心は鏡なり」という言葉があります。これは、簡単に言うと、相手を通して自分を見る、自分を知る、ということですね。

たとえば、相手の素晴らしさが見えるときは、自分自身の中にも、その素晴らしさと同通するものがあるのです。同じものがなければ同通もしないし、素晴らしいと感じる縁(よすが)もありません。

同様に、相手の嫌な部分や引っかかる部分が見えるときは、自分自身の中にも、同じような部分があるのです。ですから、自分にとって嫌なところが目に付く相手というのは、実は自分の中にある同じような嫌な部分が反応していることが多いはずです。

他者の存在が自分を知るチャンス

相手を否定したり、相手を責めたくなったりするときは、自分を振り返るチャンスでもあります。相手を責めようとする自分の中に、その相手と同じような部分がないかを点検できるチャンスなのです。

すると違う視点から自分を眺めることができ、意外な自分の姿を再発見することがあります。他人の存在が、自己反省につながるのです。ですから、他人の存在というのは、ありがたいのですね。

僕の友人Aさんについて

僕の友人で、Aさんという人がいます。僕がすでに退会している宗教団体で、一緒に活動していた人です。僕が時として精神的な話をしたくなるときには、決まってAさんの顔が浮かびます。

それは、Aさん自身が、とても精神的な生き方をしているからです。この世の芥にまみれながら、精神性を追求する生き方をしている人なので、Aさんと話をすると、僕の中にある精神性も引き出されるのです。

そしていつも数時間ほど話し終えたあとは、お互いに非常に良い精神状態になっていることが多いのです。

また、知的会話に飢えているときも、Aさんの顔が浮かびます。Aさんは精神性の高さだけでなく、知的レベルも非常に高いため、毎回、教えられたり、気づかされたりすることがあります。

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歴史の中に心の対話をする人を探すという方法

僕の場合は、幸い、Aさんのような人が実在してくれているので、助かっているのですが、身近にそのような人がいない場合は、歴史の中に、心の対話をする人を探すという方法があります。

たとえばそれは、横井小楠でもいいし、吉田松陰でもいいでしょう。時代をさらにさかのぼって、良寛和尚や夢窓疎石でもいいかもしれません。

誰でもいいので、自分がこの人と話したいという人と、瞑想、あるいは黙想の中で、会話するのです。この人ならば何と言うだろうと思惟しながら心の対話をすることで、心が明るくなることがあります。

これもまた、心のチューニングであり、波長同通であり、苦海のこの世を生き抜いて行く知恵でもあります。

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