昨日、高校時代のクラスメイト数人と会う機会があり、会話をしたのですが、僕だけがひとり者なので、いろいろと心配されました。
まあ、それは善意でのことなのでかまわないのですが、僕が何度、一人暮らしこそが僕にとっては最高なのだと言っても信じてもらえず。
まあ、それも構わないのですが、一人暮らしは寂しいに違いない、強がっているに違いない、楽しいことを知らないに違いないとの決めつけは、なかなかの偏見ではないかと、思いましたよ。
僕も、多勢に無勢で押されるままに、話を受け入れて、今からの婚活もいいかもねと、話だけは合わせておきました。
そうしないと、その話題が、なかなか終わりそうになかったから。
さて、それはさておき、ひとりで生きることの喜びを、仏典から引用してみますね。
交(まじ)わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起る。愛情から禍(わざわ)いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。
子や妻に対する愛著(あいじゃく)は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡(あいから)むようなものである。筍(たけのこ)が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。
林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴(おもむ)くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。
仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。
どうでしょう。
この「犀の角のようにただ独り歩め」は、上記のような記述が、まだまだたくさんあります。
妻子を捨てて出家した仏陀釈尊ですが、後年、その一人息子も仏弟子になりますから、その人徳がうかがい知れます。

ひとりで求道する喜びを、僕も追求しています。
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