「与えられる娯楽」に飼い慣らされた人たち

僕は福袋というものを買う習慣がないので、定価よりも安い金額でものが買える、といった程度の知識しかありません。

ただ、福袋には、いやな思い出があり、それは、まだ僕が新宿のビジネスホテルに勤めていたころの話。

24時間勤務を終え、花園神社近くの地下鉄の入り口から、副都心線の新宿三丁目駅へと歩いているときでした。

狭い通路に行列ができており、それだけならまだしも、僕が歩く側にも人が押し寄せてきていました。

これはつまり、一方通行の反対側から僕の歩行を邪魔するように歩いてくる人間がたくさんいた、ということです。

その理由は、行列の最後尾に並ぶためだということがすぐにわかりましたが、進路を妨害された僕は、次第に腹が立ってきました。

やがて、その行列の正体が、伊勢丹の福袋を買うためのものだとわかり、呆れ果てた次第。

今朝、ネットニュースで、福袋に関する記事を読んだのですが、なるほど、と思う部分があったのですね。

値段以上に価値のある商品が入っているかもしれない期待感だけで、宝くじと同じ「ラッキー」を望んでいるということです。これはつまり、自分の頭で価値判断する行為を放棄しているということ。

「自己責任での選択」という、私たちが持っている権利を、店舗サイドに委ねてしまっていることになります。ラクな反面、思考停止につながりやすい側面を持っているのです。

たとえば、テーマパークのアトラクションも、自分で遊び方を考えるのではなく、誰が乗っても同じ楽しみ方ができます。テレビゲームや映画も同じ。クラブやダーツバーも同様に、供給者が考えた遊びです。

だからそんな、「与えられる娯楽」に飼い慣らされた人たちは、田舎暮らしをすると「何もない」「ヒマだ」と苦痛を感じます。山や原っぱで自分は何ができるか、何もない環境の中でどういう楽しみ方を発見できるか、思いつきません。というより思考が及ばないのです。

これと同じことが、買い物にも起こります。自分の頭で「これは値段以上の価値がある、ない」を考えないから、差し出された「定価」を疑いません。値札より割引されていれば、「値段以上の価値があるはず」と思い込んで飛びついてしまうのです。

まさにその通り、と、思いましたね。

それと、福袋に限らず、僕は行列に並ぶ、ということは好きではありません。

まあ、行列に並ばざるを得ない状況というものは人生にはありますが、自分から進んで並ぼうとは思いませんね。

今日も、日本のいたるところで、朝から行列ができているのかもしれません。

人生には、いたるところで、まさに福袋のような、仕掛けが、施されています。

そうした仕掛けにまんまとはまって、与えられる娯楽に飼いならされるよりも、自分が娯楽を作り出すほうが何倍も楽しいし、自由だと、思っています。

長年にわたりカルト宗教に飼いならされてきた僕だからこそ、その欺瞞に気づいてからは、組織がどのようにして人を操るかということに、関心を向けるようになりました。

人を操る糸は、欲望、恐怖、希少性、などですが、福袋の場合は、定価より安く買えるという欲望と、この時期だけ安い、という希少性、でしょうか。

こうしたモノを刺激され、動かされているわけですが、簡単に動かずに、静かに考えて行動する習慣をつけることこそが、より上質で安全な人生につながると思っています。

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