これは、逆説的な言いようになってしまいますが、お金を求めてあくせくと働くほど、実は、不幸になるんじゃね、ということ。
勿論、例外はあって、仕事が死ぬほど好きなら、それは、趣味みたいなものだから、いいと思います。
そうじゃなくて、社畜の話。
お金の不安があるからと言って、働いていると、働いているときも不幸だし、そのお金を使うときも不幸。
「幸せ」なんて感覚は、あくまでも脳が感じているだけに過ぎないのですよ。
運動後、のどがカラカラに渇いたときに飲む水ほど、美味しいものなんてないように、節約をして質素に暮らしていると、たまに食べるごちそうの美味いこと。
でも、毎日美食だったら、その美食も、美味しくは感じなくなるもの。

そのうちに、これは値段が高いからうまいはずだ、などと、自分の味覚よりも、思考に支配されるという末路。
あのですね、空腹のときは、いや、空腹のときほど、🍙、などの単純素朴な食べ物がおいしかったりします。
結局、「我慢すること」って、快楽なんじゃね、と言うか、節制があってこその喜びだったりするわけですよ。
のどがカラカラなら、ただの水ですら最高の快楽を得られるのですからね。
「満たされた状態」に慣れてしまうと、実は、快楽を味わえなくなるのかもしれません。
別の角度から見ると、お金が無制限に使えるような状態で消費を続けた先に、得られる快楽はどんどん低くなっていくよね、とも言えるのかもしれません。
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