草庵に住み、諸国を放浪し、多くの和歌を残した西行。
一丈四方の庵に住み、閑居生活を楽しんだ鴨長明。
粗末な草庵に住み、無一物に徹して自由に生きた良寛。
みんな自由人です。
で、自由人たる、彼らに共通するのは、快適性を外に求めなかったこと。
で、快適性を外に求めないとどうなるか。
お金を使わなくなります。
だって、お金を使わなくても満たされているから。
仏陀釈尊は王子であり、たくさんの女性に囲まれ、何不自由なく暮らしていましたが、心は満たされませんでした。
そして、家を出ます、家というよりも王宮ですね。
そして、修行に入るわけですが、これを書いていくと長くなるのでやめますが、結論を言うと、心が満たされていれば幸せ、なのですよ。
群馬県の渡良瀬鉄道沿いに、富弘美術館というのがあります。
なんかあの人、体育教師だったんでしたっけ、詳しくは知らないんですが、その後体が不自由になってから、自分の名を冠する美術館まで持つようになったのですよ。
おそらく、それは結果に過ぎなくて、それよりも、彼の中で起こったところの、回心が大事か、と。
パウロのダマスコの回心、みたいな。

で、またすぐ宗教的な話になるのが僕の癖なのですが、そうそう、鴨長明に代表されるように、存在そのもの、生活そのもの、日常そのものを、味わえば、良いのではないか、と。
そうすると、おそろしくお金を使わずに生きられます。
まあ、本当に、食費だけですねえ。
あとは、光熱費通信費などのインフラ費、くらいのもの。
それで、メチャクチャ幸せな生活が送れるんだから、ストレスもなくて健康にもいい、と。
で、彼らに共通しているのは、快適性を外に求めていないところ。
じゃあどこに求めてんだよ、と聞かれたら、己のうちにこそそれはあるよ、と言うでしょうね。
自分の中に宇宙があることを知っている人は、お金は暮らせる程度にあれば、それ以上求める必要がないことがわかってるので、心はいつも平安なのです。
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