ろくでもない情報なら知らないほうがいい

親の介護も終え、天涯孤独者となった自分は、

更なる内省に入るにつれて、

モノを持たない幸福について考えるようになりました。

必要なものだけがあればいい、と。

モノの中には、情報も、入ります。

ビデオデッキの中には、撮り貯めてある番組が数多くありますが、

これ、全部見なきゃなんないのか、と思っただけで疲れます。

映画やドラマでさえ、消去の対象。

話題作、ということで撮りはしたものの、放置状態。

長らく放置してあるものは、今後も見ないのだから消去。

そして、もう、心が動かないものは撮らないこと。

で、家具なども相当処分し、

さらには今後のことを考えて、軽量化を図ったり、

自分なりに、住みやすくしてきました。

今後、よほどのことがない限り家具を買うことはないでしょうが、

家具を見るのは好きで、数日前も大川家具へ。

素敵な家具を見ると、ワクワクするのですよ。

今後、家具を買うとしたら、入れ替えですね。

つまり、買い増すのではなくて、入れ替え。

たとえば、ソファを入れ替える、とか。

家具は、良いものを、長く使いたいのです。

ただ、今使っている家具は、必ずしも良いものばかりではないので、

いずれ、今より余裕ができたら、

そうした家具を、より良いものに買い替えたい気持ちはあります。

でも、買い増して、空間が狭くなるのは嫌なのです。

情報も、ろくでもない情報なら知らないほうがいい。

自分の頭に、ガラクタを詰め込みたくはない。

つまらない情報に触れるくらいならば、

野山を歩いているほうが良い。

人間が生きるのに、そんなに難しい情報は要らなくね、と。

情報もモノだと考えれば、雑多な情報はゴミ屋敷と一緒。

モノを持たない幸福は、スッキリとした暮らし。

良いものと、良い情報と、良い人間関係に、囲まれた生活。

スポンサードリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする