まあ、人間なんて、そんなもの

僕自身、かつては相当頭が悪かったので、言えるのですが、

実は今も、そう頭が良いほうではないのですが、

他人との比較、というよりも、

過去の自分よりも、

一ミリでもいいから賢くなっていれば、良い、と。 

ひろゆきがいいことを言っていたので、紹介します。

あ、ちなみに、当然ですが、ひろゆきも、

的を射たことを言う場合もあれば、

それ間違ってんじゃね、みたいな、

ずれたことを言うこともあり、

それが人間というものなので、

この世に完璧な人間はいないし、

間違えたり、反省したり、して、生きている、と。

で、以下は、そのひろゆきの発言からの抜粋。

日々、たくさんの質問を受けていて、やめたほうがいいと思うことがあります。  それは、特定の個人を信じてしまうことです。つまり、「信者」になること。信者になってしまうと、どんなに間違った意見を言っていても理解者であろうとしてしまいます。  ただ、1人の人間の信者になることは、とても頭の悪いことなので、やめたほうがいい。その理由について述べていきましょう。

よく、「尊敬する人はいますか?」という質問をされます。できるだけ答えたくないのですが、強いて言えば、すでに死んでいる人を挙げます。  どんな人にも「いいところ」と「悪いところ」があります。つまり、「尊敬できる部分」と「尊敬できない部分」がある。  仕事上ですごい成果を出して尊敬できる人でも、プライベートではクソ野郎かもしれません。それは、どんな偉人でも凡人でも同じです。  「この人は信じていい」「この人は信じてはダメだ」というように、1人の人間を丸ごと判断してしまうのは、とても危険なことなのです。  「信者」になってしまうと、その人の「悪い部分」が見えなくなります。もし、差別的で攻撃的な発言をしたとしても、「本当は深いワケがあるんだろう」とか「本当は優しい人なのに、疲れているのかな……」と自分勝手に解釈してしまいます。

なぜか、世の中には、「正しい人」と「間違った人」に分かれているように思ってしまいます。  それは、学校教育で先生が絶対的な存在だったり、親に反抗しなかったりする人に、特に見られる特徴です。  もしくは、メディアのニュースを通して、「犯罪をおかす敵」を見せつけられてきたからかもしれません。  しかし、現実はもっと複雑です。わかりやすい敵なんていません。100%信用できる人だっていません。  そんな中で、つねに自分が判断して決めていかないといけない世の中です。つい、人は弱ったときに、有名人や占いを信じてしまいます。理由や根拠がなんであれ、「この人が言っているから間違いない」と盲信してしまうのです。  ただ、特定の個人を100%信じきってしまうのは、非常に頭が悪い特徴なので、絶対にやめるようにしましょう。僕の言うことも同じです。ひろゆき信者ほど、頭の悪い人はいないと思いますよ(笑)。

うーん、ひろゆき信者もいれば、ホリエモン信者も、いるのでしょうが、

僕なども、かつては、斎藤一人さんを尊敬していて、

もしかしたら、一人さん信者に見えたかもしれません。

ただ、僕は、複数のカルト宗教での経験を通して、

個人崇拝の危険性を、身を持って体験しているので、

一人さん、いいこと言っているな、とは思っても、

信者にはなりませんでした(笑)。

オウム真理教などでも、

高学歴の信者がたくさんいて、

その中には、サリン事件に関係した人もいましたが、

一人の人を妄信し、人生をゆだねてしまう危険性は、

他山の石としてはいけないのです。

僕は、渋沢栄一を尊敬していますが、

実際にその人を見れば、

いやな部分もきっとあると思います。

それは、人間である以上、当たり前なんです。

僕だって、他人様から見れば、

きっと嫌なところがいくつもあるでしょう。

まあ、人間なんて、そんなもの。

未熟者同士が肩を寄せ合って生きているんですから。

だからきっと、あなたが心酔するその人も、

ありのままに見れば、未熟な人間の一人。

だから誰か一人に心酔するよりも、

複数の人たちの、それぞれこの部分は尊敬できるよね、

みたいな感じで、リスク分散したほうが、

安全なように思います。

その辺のさじ加減は、

株式投資と、

同じかもしれません。

スポンサードリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする