ここから先の人生は、ずっと遊び

僕は老荘思想が好きなので、ハンドルネームも老荘凡夫にしているのですが、老子は、より根源的なのに対し、荘子は、愛嬌があって実践的な感じがします。

まあ、あくまでも僕の印象ですがね。

荘子の遊

荘子は、遊についてたくさん論じていますが、たとえば、こんなのがあります。

「天地の正に乗じて、六気の弁に御し、以て無窮に遊ぶ者は、彼且た悪くにか待たんや。故に曰く『至人は己無く、神人は功無く、聖人は名無し』と」

これの意味するところは、

天地の自然に身を委ね、万物の生成変化に応じて無窮の世界に逍遙する者こそ、何物にも囚われぬ真に自由な存在である。「至人は自己に固執せず、神人は作為を施さず、聖人は名声に関心を抱かぬ」とは、このことを指す。

となります。

死という厳然とした事実に向かい合うまで

誰にでも必ず訪れる死というものと向かい合うまでは、この世を逍遥するのが、僕たちに残された人生です。

どうせ逍遥するならば、遊び心を持って逍遥したほうが楽しいはずです。だから、ここから先の僕の人生は、その遊の心境に、近づく道を歩くことです。

できれば、遊の心境そのものになって、すべてをあるがままに受け入れて逍遥していきたいと、思っています。

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