持ち物への執着は、苦しみを生む

僕は、これまでいろいろな人に影響を受けて、今があると思っています。

それは、実在の人物であることもあるし、歴史上の人物であることもあります。また、時には小説や漫画の中の架空の人物であることもあります。

で、歴史上の人物はやや距離感があるし、小説や漫画の中の人物はリアリティに欠けますが、やはり何と言っても実在の人物から影響を受けることが最も多いかと思います。

影響を受けた人はたくさんいますが、その影響力にはかなり、差があります。

で、そうした人をここで挙げていくときりがないのですが、たとえば、さりげない影響力、というモノがあるように思うのですね。

たとえば、僕が二十代の頃、アルバイトは数限りなくしているのですが、そのアルバイトの日々の中で、ある高齢の、60歳くらいの女性の家でお茶を飲む機会がありました。

その前後の経緯は記憶があいまいなのですが、彼女は公団住宅のようなところの4階あたりに住んでいて、その暮らしぶりが質素であることは一目瞭然でした。

ただ、家具にしろ調度品にしろ、よく使いこまれていて、質素ながら気品があるのです。

そして僕は、その部屋で、午後のお茶を飲ませてもらったのですが、何気ないインスタントの紅茶でしたが、とてもおいしく、上質の時間でした。出された菓子もありふれたものでしたが、何かが違う。

当時僕は若く、深い考えもなく、ただ、いい雰囲気の人だなあ、と思っただけです。

勿論、自分の母親よりも上の年齢の人に恋愛感情はなく、そういった類の感情とは別の憧れのような感情とでもいうのでしょうか。

とても、いい時間だった記憶があります。

だからこの婦人とは、出会い、というよりも、つかの間の触れ合い、だったのだと思いますが、その後、僕が簡素な生活への憧れを持つに至ったことと、無関係ではないように思いました。

勿論、この婦人一人の影響力ではなく、僕には昔から、修道院生活への憧れや、雲水生活への郷愁のようなものがあり、魂の生地として、簡素なものが好きなのだとは思います。

雲水などの修行僧の持ち物は、三衣一鉢ですし、イエスも、「旅のために何も持って行かないようにしなさい。杖も、袋も、パンも、金も。また下着も、二枚は、いりません」と言っています。

まあ、持ち物への執着は、苦しみを生むのですよ。

で、話を戻すと、お金を使わない上質な暮らしは、意外と近くにあるよ、と言いたかったのですね。

暮らしが上質になるかどうかは、その人次第、なのではないでしょうか。

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