ダブルワークで無能ぶりを発揮した体験を振り返る

僕が40代後半の頃のことです。

もう、ずいぶん前の話だから、バイトした場所を書いても差し支えありますまい。

それは、川越にある氷川会館というところです。まあ、地元では有名な氷川神社の隣にある、結婚式場ですね。

そこのウェイターをほんの数日ばかりしたことがあるのです。

本業は、ビジネスホテルの設備管理だったのですが、24時間勤務で、休日が多く、いまよりもはるかに体力もありましたから、ダブルワークにチャレンジしたのですね。

何よりも住宅ローンがきつかったのと、カルト宗教を信じていたために、お金がかかったのです。

それでやむなく、ダブルワークの道に踏み込んだのですが。

仕事が変わると無能力者になることがある

結果から言って、まったく僕は使い物になりませんでした。

ウェイターが、満足にできなかったのです。テキパキと動けなかったということですね。

僕に引き比べ、僕よりもはるかに若い、二十代の子たちは、実に小気味よく動いていました。その横で、僕は棒立ち状態。

本当に、ウェイターは、大変でした。

僕も実は、十代の頃に、ビアガーデンのウェイターをしたことがあり、初めての仕事ではなかったのですが、当時より年を取っていたことと、結婚式場という、格式ばったところでもあり、いろいろとルールがあるのですね。

料理の出し方とか、いろいろですね。

まあ、僕は、二十代の女の子たちに交じり、まったく使い物にならない無能ぶりを露呈し、正社員のマネージャーから、下がれ、と言われました。

みっともない間抜け面をして立っているんじゃないと、その目が言っていました。

で、その氷川会館は、結婚式の披露宴だけでなく、子供の七五三のお祝いなどもやっていて、そうしたこじんまりした宴会場での給仕であれば、僕も務まったのです。

最初は、七五三とか、子供の誕生祝とか、そんなこじんまりとした場所でやらしてもらっていたのですが、結婚披露宴のウェイターは、荷が重かったですね。

で、氷川会館のような場所で、七五三のお祝いパーティーをしてもらえる子供は、もちろん、お金持ちの、子供たちなのですが、人はどこに生まれるかで、ずいぶん差があるものだと思ったものです。

まあ、子供たちはかわいいので、七五三のお祝いパーティーの給仕は楽しかったですよ。

ただ、七五三のお祝いパーティーはあくまでも、メインではなく、結婚披露宴で使い物にならない僕は、空気を察して、バイトをやめることに。

ダブルワークでの気づきを本業に生かすことを決意

改めて、自分のこの世での市場価値というか、無能ぶりを思い知らされたことで、むしろ、ビジネスホテルで正社員として働いている自分が、とても恵まれた環境にいるように思え、頑張って給料を上げるほうにこそ心血を注ごうと、意識変革ができたことが、そのバイトの経験で得た宝でした。

まあ僕は、いろんな仕事をしてきて、いかに自分が仕事ができないかは重々承知しているので、免疫はできていたのですがね。ただ、まあ、ショックではありましたよ。

今となっては、良い思い出ですが(笑)。

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