質素で内省的な暮らしの価値

冬枯れの風景は、若い頃から割と好きでした。最初に行った外国がイギリスだったのも、冬枯れの風景が導いたとも言えます。夏でも肌寒い日がある北イングランドに、一週間ほど滞在しました。

北イングランドのハワースは、エミリー・ブロンテの小説「嵐が丘」の舞台です。僕が行ったのは夏だったので、荒涼とした原野の気配はあるものの、冬枯れとは程遠いものでした。

ヘザーという花が咲いていて、観光客も多かったのです。一人で物思いにふけるには、やはり夏以外を狙って行くべきです。

荒涼とした北イングランドの原野。それは、やはり晩秋か冬に行かなければ、見ることはできないのかもしれません。

荒涼たる風景と相原求一朗

しかし、ここ、日本で、僕は冬枯れの風景を楽しんでいます。相原求一朗の画集を、眺めているのです。

相原求一朗は、川越市出身の画家です。僕が介護離職する前に、休日にぶらぶらと東上線沿線を散歩していたときに出合ったのが最初です。

確か、鶴ヶ島駅近くのビルの一階ロビーで、相原求一朗の絵を初めて見たのでした。寒々とした風景ではありましたが、妙に心惹かれ、長い時間眺めていました。

そして今年、相原求一朗の画集を買い求めました。おそらく、今年一番の贅沢な買い物が、この相原求一朗の画集ではないかと思います。

神田の古本屋街でも見つからなかったのですが、アマゾンで見つけました。札幌の書店が所有して売りに出していたので、すぐに買ったのですね。相原求一朗は、北海道の風景も数多く描いています。

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心地良い暮らしを支える最低限の経済的基盤

多くの人は、秋から冬にかけての季節は寂しいと言います。確かに寂しいのですが、その寂しさが、人を内省的にさせます。そして内省は、心を豊かにします。

これはなかなか、金銭や物質では得られないタイプの豊かさです。質素で内省的な暮らしというものは、実はとても豊かな生活なのです。

この質素な静かさ、静謐な時間、瞑想的な空間というものは、この世的な価値観では測れないものです。この静かな内省的な暮らしこそ、僕が最も心地良いと感じるものです。

そして、そうした心地良い暮らしを支えるものは、この世に生きている限りはその基盤に経済の安定がなければなりません。ただ、その経済の安定も、いたずらに追い求めればよいというものではなく、おのれを知った上でどのくらい必要なのかがわかってその確保に努めたのちは、足ることを知って満足することが大切です。

最低限の経済的基盤を確保したうえで、あとは存分に、精神的豊かさのほうを追求していけばいいのです。それが、今も、そして今後も変わらない、僕の方針です。

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