あとは、自分が、ひとりで死んで行けばいいだけ

僕はもう、60代になってしまったのですが、今は内省の時期なのか、自分にとっての激動期だった50代の日々のことを、時々振り返ることがあります。

大半の50代は、子供が大学生とか、高校生とか、あるいはもう社会人になっていたりして、結婚した年齢にもよりますが、だいたいその年齢あたりの子供が一人や二人いたりするのではないでしょうか。

子育ても一段落して、自分の老後のことなども考え始める時期かもしれません。

僕の場合はずっと独り者だったので、子供を通して自分の成長や衰えなどの変化を感じるということはなく、まあ、かなり浮世離れした人生を歩んでいたように思います。

50代を端的に言うと、自分でもはっきりとわかる体力の衰え、ですね。

体力が落ちると、気力も削がれます。

さらに具体的な年齢を言うと、僕の場合は、56歳がギアが落ちるように体力の低下を実感した年でした。

疲れやすくなり、気力がなくなり、ついでに好奇心も少なくなりました。

56歳前と後では、体力気力的には、別人のように感じます。

拡大と収縮、という考え方がありますが、人生も、思春期から働き盛りへと拡大していくときと、やがて盛りを過ぎ、収縮していくときがあるのだと思います。

その転換点の年が、僕の場合は、56歳だったということでしょう。

で、早期退職と、父と母を相次いで見送ったのも、50代。

自宅を建て替えて、新たなローンを背負ったのも、50代。

天涯孤独になったのも、50代。

まあ、あとどのくらい生きるかわかりませんが、男の平均寿命プラス10年くらいのスパンで、自分の未来を眺めています。

兄弟がいないので、その必然として甥も姪も存在せず、まさに正真正銘の天涯孤独なので、その点では、さっぱりとしています。

あとは、自分が、ひとりで死んで行けばいいだけですからね。

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