悩んでいるときが、一番、吸収力があり、実践で使える

日刊SPAに身につまされた記事があったので紹介します。

なぜ、身につまされたのかと言うと、僕も、オーナー社長の会社に長らく勤めていて、似たような経験をしたからです。

以下の記事は、SPAからの引用です。

「30代半ばまで、東京の大手ITベンチャーに勤務していました。でも、地方の実家に一人残してきた母が認知症を患ってしまい、介護のため退職。38歳で地元企業にUターン就職することを決めたんです」

 田山悟さん(50歳・仮名・未婚)は当時の年収800万円を捨てて帰郷後、地元企業に就職するが、入社初日から職場環境に愕然としたという。

「使っているパソコンやツールも古いし、仕事のやり方も時代遅れ。非効率的なので、東京で働いていた時の経験を活かして『このツールを使ってみては?』、『こういう方針を導入しては?』と社長に提案したんです。良かれと思ってのことでしたが、社長の目には生意気に映ったんでしょうね。『ここはお前がいたような大手じゃない! この東京者が!』と一喝され、無視されるようになりました」

 少人数の会社ゆえ周囲も社長のイエスマンばかり。完全に孤立して、ストレスに耐えきれずに退職。

「地方の小さな企業は、社長はワンマンが多いことを事前に知っていればよかったんですが……。それがトラウマで、その後は企業には就職せず、母の介護をしながらフリーランスで働いています。会社員時代よりも気楽ですが、仕事が安定せず、年収は300万円前後まで落ち込みました。

「100万円くらいしか稼げない年もありましたね。母の年金のおかげで、ギリギリ成り立っている暮らしです」

 地方の企業文化に身をもって触れた田山さん。一般的に見れば、「介護離職を機にキャリアデザイン失敗」ということになるだろう。

うーん、僕の場合は、上司と口論になり、その上司の僕に対する勤務評価が劇下がりとなり、年俸ダウン、となったのでした。

年に一度、社長室にて、年俸の提示があるのですが、上司とやり合ったことが見事なまでに反映されました。

その後、時間をかけて上司との関係を改善。

少しずつ、給料を上げてもらい、現状に回復し、さらにその後も昇給を重ねて、それでも、一番稼いでいたときでさえ、500万円には届かない、490万円ほどだったと思いますが、会社の規模としては、良く出してくれた年収だったと思っています。

とにかく会社は、仕事ができることと同じか、それ以上に、人間関係がものを言います。

人間関係で悩んでいたときに、とにかくよく読んだのが、斎藤一人さんの本。

一人さんに、ずいぶん大人にしてもらいました。

会社も、世の中も、必ずしも正しいことが通るわけではない、そこのところの、深い話を、斎藤一人さんから学びました。

一人さん以外にも、いろいろな人生の達人から、その著作を通していろいろなことを学びました。

悩んでいるときが、一番、吸収力があり、実践で使えることも、知りましたね。

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