初詣には行かず、自分の心の声と対話する

初詣というものに行かなくなって、かなりの年数が経ちます。初詣の定義がはっきりしないのですが、少し日が経って、たとえば、1月の10日前後あたりに、地元の氏神様に挨拶には行きます。

それも初詣の範囲に入るなら、初詣には行っています。いずれにせよ、お正月の3が日に初詣に行くことはありません。

神社はお礼に行くところ

もう去年ということになりますが、昨日、31日は、母を連れて、地元の神社に行きました。1年の無事を感謝するためです。これは、恒例行事です。

31日の大みそかは、人も少なく、静かにお参りができます。昨日見かけたのは、神社関係者が何やら火を燃やしている風景でした。

人のいない、あるいは少ない神社で、静かに1年の感謝の祈りをして、帰ってきました。

新年になってから神社に行っても願い事は頼まない

神社は、感謝をしに行くところだと思っているので、年が明けてからお参りに行っても、願い事はしません。このときも、新しい年がむかえられてありがとうございます、と感謝の祈りを捧げるだけです。

ことほど左様に、神社に行っても仏閣に行っても、願い事というものは一切しません。ただ、感謝あるのみです。

すべては波動でできている

これはとてもシンプルな理屈になるのですが、人というものは波動です。さらに言えば、人に限らずすべてのものは波動でできています。

ですから感謝の波動を出せば、その波動に同通する出来事が生じます。これは、僕自身も実体験していることなので、疑う余地はありません。

しかし願い事をする波動というのは、感謝の波動ではありません。あれをよこせ、これをよこせと言っている、いわば要求の波動なのです。

そのような波動を出している人には、それにふさわしい出来事しか起きません。宇宙は、至ってシンプルにできているのです。

自分の心との対話から始まる

ということで、僕の元旦は、神社仏閣に行くのではなく、自分の心との対話から始まります。自分の中にこそ神がいるからです。これは、傲慢さとは違います。

誰の心の中にも神が宿っています。神性と言ってもよいでしょう。

だからまず、自分の中の神性を敬い、その内なる神と対話することのほうが、実は神社仏閣に行くよりも大切なのだと思っています。

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