やがて訪れる死への対応

人間も動物も、生きとし生ける者はみな、やがて死んで行きます。

これは、定めであり、変えることはできません。

だからこそ、ときどきにでも、死、というものを意識して生きる必要があるのではないか、と、僕は思っています。

僕が、この5月にアルバイトを辞めたのも、これから緩やかに衰えていく自分を静かに見つめる時間が持ちたかったからでもあります。

秋になると葉が落ちるように、人も晩年になると衰えていきます。

昨日、僕の年上の友人であるMさんの飼い犬が息を引き取りました。

もうすでに高齢犬で、その死はあらかじめ予感していたことかとは思いますが、Mさんの心中を推し量ると、僕も、自分自身、天涯孤独のおひとり様であり、犬にせよ猫にせよ、生き物を責任を持って飼うことはできないと、自分に言い聞かせました。

自分もすでにシニアと言う層に入り、一方、医療やペットフードの向上で、年々ペットも長生き傾向にあります。

ペットを残して自分が先に死んでしまうケースも、考えられます。

事実、そのMさんの別の飼い犬であるオスのチワワは、どこかのおばあさんが大切に飼っていたものを、そのおばあさんが先に亡くなってしまい、そのおばあさんの家族から、Mさんが引き受けたということでした。

昨日亡くなったチワワは雌で、こちらはMさんの娘さんが働いているペットショップの前に捨てられていたそうです。

それを、Mさんのところで引き取って大事にしていました。

そのチワワの死を受けて、今も、Mさんは悲しみのさなかだと思い、僕も改めて、生きとし生ける者の死について、昨夜から考え続けています。

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