「明日のことを思い煩うな。明日のことは明日自身が思い煩うであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」
この、さっぱりとした心、今日だけに、さらに言えば、今、この時だけに、焦点を当てた生き方、を、イエスは説きました。

大乗仏教で最も人気のある観音菩薩は、観音菩薩になる前の生涯で、親と生き別れ、人さらいに騙され、陸の離れ小島に送られて一生苦役を課された人生でした。
彼は、苦しみ抜いた人生の終わりに、飢えや渇きの苦しみに加えて、人に騙される悲しみを味わったからこそ、この苦しみを縁として、同じような苦しみに嘆く人たちを、来世救っていくことにしよう、と、決意しました。
苦しみの連続の生涯を逆に活用して、同じ様な苦しみを持つ人たちを救う財産に変えようと発願しました。
この逆転の発想が、観音菩薩の慈悲の源でした。
愛されなかった苦しみを、他を愛するために使う、という最も尊い慈悲の心が、喜びからではなく苦しみから生まれた、という例ですね。
仏教を表す蓮の花は、美しい場所に咲くのではなく、泥水の濃いところほど大きな花を咲かせます。
僕は、観音菩薩のことを想うたびに、蓮の花が脳裏に浮かびます。
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