あの静けさは、何だったのだろう

僕が介護離職したときの仕事は、ビジネスホテルの設備管理全般だったのですが、その前に勤めていたビル管理会社では、3つの現場を経験しました。そのうちの一つが、浜松町にあるテナントビルでした。そのテナントビルに勤めていたときに、僕は不思議な体験をしました。

最近読んだ本、「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」をきっかけとして、僕は改めてその不思議な体験をありありと思いだすことになりました。この体験を語ることは、誰にとっても有益ではないかと考え、ブログに記すことにしました。

突然訪れた不可思議な感覚

そのテナントビルの中央監視員室というところが、その頃の僕の職場でした。そこの責任者であり僕の上司に当たる人は、普段は冗談を言っておもしろい人なのですが、突然怒りだすような人でもありました。

この上司と喧嘩してやめていった同僚もいましたし、配置転換になった同僚もいました。僕は、概ね良好な関係を保っていたのですが、ボイラー祭りというイベントのときに、一波乱ありました。

夕方から中央監視員室で始まったボイラー祭りは、恒例としてお酒を飲みながら語り合ったりするのですが、酔いつぶれた僕は、当日宿直だったこともあり、早めに別室で横になっていたのです。

そのときに、ドアが急に開き、その上司がすごい形相で怒鳴り込んできました。喚き散らしながら僕の首根っこをつかむと外に引きずり出して、蹴り始めたのです。その後、上司は、中央監視員室に僕を連れて行き、そこでも執拗に蹴り続けました。

当然ながらそこに居合わせた僕の同僚2名が、上司をなだめたり、制御したりというようなことをしていました。ところが当の僕は、怒りもなく、恐怖もなく、まったく冷静な心境で、ことの成行にゆだねていました。

ただ、僕自身、空手の心得が少しあるため、体が勝手に上司の蹴りをブロックしながら、まったくもって静かな空の状態に在りました。

在りました、というのは不思議な言い方ですが、何か大きな存在に僕自身が引き上げられ、怒りも恐怖もない、不思議な空間にその時いたからなのです。

後日、僕の同僚のOさんが、「よく我慢して偉かったね」と言ってくれたのですが、実は僕自身は、まったく我慢もしていないし、暴行を受けている自分から離れたところに存在していたのです。

Oさんには、そのことも説明したのですが、もうひとつピンと来ていないようでした。ただ、彼は仏教書を読み、尊敬する人がお釈迦様だったので、当時、幸福の科学の熱心な会員だった僕は、彼に大川隆法の本、「釈迦の本心」を、献本していたのです。

Oさんは読んでくれたのですが、「大川さんはお釈迦様とは全然違うと思う」と言い、そのときの僕をがっかりさせました。まだ、彼には、総裁先生の偉大さが理解できないのだ、まだ、時が来ていないのだ、と僕は思ったものでした。

このOさんは、今から思うと、幸福の科学の教えを学んでいる僕よりも、そしてもちろん、怒り癖のある上司よりも、人格的には整っていたように思います。正直に、誠実に生きることを旨としているような人でした。

その静かな境地はまったく自動的に発動したもの

ボイラー祭りの夜に僕が体験したその不思議な感覚は、自分でも理解できぬ現象として、いつの間にか忘れていました。ただその現象のおかげで、Oさんともう一人の同僚から、あの状況で耐えたM(僕の苗字です)さんはなかなか大したものだという評価を得ました。

ただ、それは大きな誤解なのです。僕は、一つも、何に対しても、耐えてはいませんでした。耐えるどころか、まったくもって静かな境地にいたのです。

そして、その静かな境地はまったく自動的に発動したもので、僕の努力でもなければ、僕が偉いわけでもありません。普段の僕はいたって俗物であり、むしろ、怒り癖のある上司のほうに近かったと言えます。

そんな凡人の僕が、どういうわけか静かなる境地にいざなわれ、暴行を受けている自分を冷静に眺めていたのです。もし、暴行を受けている僕自身と僕の意識がいつもの状態であるならば、間違いなく僕は激しい怒りを覚え、上司に対し蹴り返していたと思います。

ところがあのときの僕は、静かな世界にいました。

その体験は今でも鮮明に覚えてはいるものの、単なる不可解な体験としか解釈できず、忘れていました。

The Power of Now

その不思議な体験を再び思い起こさせてくれた「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」という本の原題は、The Power of Nowと言います。原文のほうも読んでみたいと思い、今、イギリスから取り寄せているところです。

最近、とみに思うことですが、自分にとって必要な本というものが、次々に与えられるようになりました。それらを記述すると、書評ブログのようになってしまうので、控えますが、去年もたくさんの良い本との出合いがありました。

僕はこれまでの人生で、親の代から受け継いだ信仰である世界救世教、その後、超越瞑想やバシャールなどを経て、統一協会での専従生活、そこを離れて後の、18年に及ぶ幸福の科学での信仰生活を経て、今は、いかなる宗教団体とも無縁ですが、その今のほうが、スピリチュアルな日々を送っているように思います。

何よりも、心が安からかです。そして、心が、とても自由です。カルト教祖の言動の矛盾からも解放されていますし、いかなる組織の縛りもありません。

人間とは本来、自由無碍なものです。シルバーバーチが強く糾弾するところの、組織宗教特有のドグマの縛りもありません。そして自由な立場で、自由な境涯で、諸々の事象を眺めるからこそ、見えてくる世界があります。

そんなことを言う僕も、凡夫である以上、最近まで、ある友人の生き方に批判的になっていました。先日、Aさんが僕の家に来てくれたときにも、その友人の話で、僕はかなり批判的な発言をしたように思います。

それは、まさに僕自身が、真実の自分から遠ざかっているがゆえの批判でした。僕は、僕の考え方、価値観に、執着していたのだということが、わかります。「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」という本は、今年最初に出合った良い本だと思います。

さらに自分を見つめ直したいと、改めて意を強くしています。

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