もう一つの悲惨な人生というものを垣間見た

僕が、今住んでいる町に、父とともに引っ越してきたのが、高校を卒業後の18歳のとき。

そして、その後、僕が19歳のときに父が再婚したため、僕は、安心して家を出て放浪。

その後、25歳のときに、統一教会での専従生活に入り、27歳で、そこを逃げ出して、その後もいろいろあったのですが、

先日、町の、今はシャッター商店街となった通りを歩いているときに、

もう一つの悲惨な人生というものを垣間見た、

そう、見たのです。

それは、あのまま統一教会での生活を送り、

やがて、合同結婚式に出て、家族もでき、

もはや後戻りもできない生活。

たとえば、国際結婚で、韓国にでも行き、

そこで家族もでき、日本に帰れなくなるとか。

その結果、親に、どれだけの迷惑をかけたか、

そして、洗脳が解けないままの僕が、

どれほど悲惨な人生を歩んだか。

そして、やがて、親孝行も出来ぬまま、親は死に、

後悔で胸を掻き毟りながら、

自分を責め、責め、責め、責め抜いたのちに、

今、どんな人生にあるのか。

そんな、もう一つの悲惨な人生が、くっきりと浮かび上がったのです。

そんな人生であれば、今の町の風景も、

今の僕が見ているようには、見えていないはず。

ブログを書くにしても、もっと悲惨な内容の、

苦痛に呻吟するブログになっていたでしょう。

人生には、いくつかの岐路がありますが、

その重要な局面で自分がどんな選択をするかが、

その後の人生の行方を左右します。 

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