余分な欲望こそが心を苦しめる

欲望自体は悪いことではなく、誰にでも欲望はあります。そういう僕も、自分の所有する株が上がってほしい、という欲望を持っていますからね。

欲望を野放しにすることの危険性

ただ、欲望というものは、それを野放しにしていると、際限がありません。もっともっとと、駄々をこねるように増長していきます。

そして知らぬ間に、その欲望が主人になり、自分自身は憐れなしもべに成り下がってしまうのです。

自然な流れに身を任せる

僕が両親の介護、あるいは介助をしていたときも、シンプルと言えば、シンプルな生活でした。親の介護が必要になった、だから介護離職した、というふうに、自然な流れがあり、その自然な流れに逆らわずに、そのときできることを気負わずに行ってきただけです。

そして、その両親も今は他界し、今は、親の年金収入が亡くなり、必然的に働かざるを得なくなったために、働いています。

自分を知って行動する

そして、仕事を探すときには、自分自身を見つめて、長時間の勤務には耐えられない、と判断しました。そのため、今は、一日5時間程度の労働をしています。

土日が基本的に休みなので、町内会の活動にも参加できます。収入は、月に10万円前後ですが、むしろそのくらいの低収入のほうが、精神が引き締まります。

魂の足腰を強くする生活

ここからは少しスピリチュアルな話になりますが、何となくそのように導かれている気がするのです。下手に金を持っていたら、風俗などにも行ったりするでしょう。

風俗が必ずしも悪いとは思いませんが、僕は自分の性格を知っているので、欲望に歯止めが利かなくなる恐れがあります。

だからむしろ、少ない収入で暮らすことは、自分を守る意味合いもあるのです。お金が無いと知恵も出ますから、さらに良いのです。

生物は、環境に適応することで進化してきました。使えるお金が少なければ、その少ない予算内で生きる工夫が生まれます。それが、必然です。

低収入であることは、このように、見方を変えれば、霊的に守られる生活、謂わば、修道院的な生活、あるいは、雲水的な生活、なのです。それは同時に、魂の足腰を強くする生活でもあると、僕は思っています。

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