奴隷と言ってしまうと、インパクトが強すぎますか?
でも、社畜、という言葉は、聞いたことがあるかと、思います。
「生きていくためには働かなきゃいけない」と信じて、あるいは、信じ込まされて、大半の人は、学校を卒業すると当たり前のように、就職活動をします。
確かに、多数派として生きることには、ある種の「安心感」があります。
しかし、その安心感と引き換えに、大半の人は、最も大切なものを失っていきます。

そうです、時間、という人生最大の資源を、失うのです。
僕が若い頃は、大量消費の時代でした。
たとえば、若者の多くが、自分の車を欲しがり、それを働くエネルギーにしていました。
僕の友人の多くもそうでした。
人間は、目標があれば、頑張れるものです。
しかし、何年も汗水たらして働いて得た車は本人にとってはすごい価値があるのはわかりますが、ある金持ちのボンボンが、労せずにポンと親から、さらに上級の車を与えられるのを見た僕は、虚しさを、感じましたね。
事実、僕の友人も、強がってはいましたが、悔しそうでした。
「生きていくためには働かなきゃいけない」と信じて、彼らは可能性に満ちた時間を労働で消耗していきます。
勿論、その労働と自分の夢が合致しているのならば、この限りではありません。
しかし、そんな人は少数で、大半の人は、食うために、生きるために、人生の時間を消費していきます。
まあ、人生なんてそんなものだ、と、割り切れる人は、かまいませんが、虚しさを感じる人は、賃金奴隷制そのものを、再考する必要があるのではないでしょうか。
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