投資系、蓄財系、節約系など、様々なブログを覗いていると、お金を貯めることに執着している人が多いことに気づきます。
僕は、これは、否定しません。
ある程度のお金は確保しておかないと、自分がぽしゃりますから、ね。
それは良いとして、もう十分すぎるほどのお金を持ちながら、なおもお金に執着して、しかも身を粉にして働く人もいます。
いや、それはいいのですよ、自分の人生ですから、お好きなように、ということなのですが、働くだけ働いて擦り切れて、最後は、病院、というケースもあります。
こういうのを、爪で拾って箕でこぼす、と言いますよね。
実は、僕の実母が、よく言っていた言葉でした。
僕の母は、僕が16のときに亡くなっていて、3回目の病気のときに、なくなったのですが、ずっとパートで働いていて、自分の人生のことを、爪で拾って箕でこぼすような人生だ、と、言っていたのです。
僕は、それを鮮明に覚えていて、母の死後、僕が19歳のときに、父が再婚し、僕は、家を出て放浪生活をするのですが、その後、また、一緒に暮らすようになると、今度は、義母を、実の母にできなかった分、温泉に連れて行ったりしていたのですね。
まあ、運良く、義母とは相性が良かったので、200回近くは一緒に旅行に行きました。
なので、義母のほうは、爪で拾って箕でこぼすような人生ではなく、十分人生を満喫したのではないか、と思います。
で、何が言いたいかというと、誰であっても、皆、せっかく生まれてきたのですから、幸せに生きることが至上命題、なのですよ。
苦労して苦労して生きて、身を粉にして稼いで、そのなれの果てが病院暮らしでは、切な過ぎるのですよ。
そんなにまでして稼いだお金の行く先が病院の白い壁の中、では、やり切れません。

まあ、実母のこともあったので、僕は、やりたいことは、一切、先延ばしにはしませんでした。
ぶっちゃけ、明日死ぬかもしれないのですよ、誰であってもね。
ならば、あまりやりたいことを先延ばしにしないほうがいい、のですよ。
ただ、誤解されると困るので言っておきますが、無鉄砲に刹那的に生きろ、と言っているのではありません。
そういうのは、破滅型の人生で、これもダメです。
先のこともある程度心配というか、備えはしておきながら、備えすぎて時を失う愚を言っているだけのことなのですね。
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