資本主義社会の必然的帰結としての疎外

今年5月にアルバイトも辞め、今は、失業手当受給中の僕ですが、疎外について、改めて考えてみました。

考えるにあたり、参考になるのは、 カール・マルクスの『資本論』 です。

彼は、資本主義社会の必然的帰結として以下の4つがあると定義しました。

  1. 労働生産物からの疎外 生み出したものが全て資本家の手に渡るので、自分の労働と繋がってこない。 マタギは狩りをした熊を自分のものにできる。 生産されたものからの疎外。
  2. 労働からの疎外 労働とは本来、創造的であるものだが、分業や効率により退屈でつまらないものに成り下がってしまう。 労役から解き放たれて初めて労働者は自己を感じることができる。 すなわち労働そのものの性質からの疎外。
  3. 類的疎外 1,2が組み合わさることによって発生するもの。 類的とは、「種、Species」として考えるとよい。人は本来、健全な人間関係を築くものだが 分業や賃金労働により、人が会社により「部品化」され、健全な関係が破壊される。 種族としてあるべき姿からの疎外。
  4. 人間(他人)からの疎外 資本主義社会において、人間の価値は、社会や会社の歯車としてどれだけ有効に働くかの「生産性」だけで問われるようになる。すると人の興味はいかに手っ取り早く稼ぐかに移り、「労働の喜び」、「贈与の喜び」というものが感じられなくなる。 人間らしさからの疎外。

僕は、この5月まで、工場アルバイトをしていましたから、時間と労働力を売って、お金に換えていたわけです。

人間の価値は、社会や会社の歯車としてどれだけ有効に働くかの「生産性」だけで問われるようになる 、との指摘は、胸に沁みます。

分業や賃金労働により、人が会社により「部品化」され、健全な関係が破壊される 、というのも、その通りだと思う場面が多々ありました。

労働とは本来、創造的であるものだが、分業や効率により退屈でつまらないものに成り下がってしまう 、との指摘も、理解できます。

今現在の僕の労働は、まったくもってすべて自分のためであり、生活の中で工夫する労働、掃除にしても、料理にしても、ミニリフォームにしても、自分が考えながら好きなようにしているので、楽しいですね。

マルクスが見抜いていたように、部品化された人間が、幸福を実感するのは難しいと思います。

なので、早期リタイアを志向する人が増えつつあるのも、頷けます。

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