僕自身、サラリーマンとしての能力は高くなかっただけに、
よく生き延びてきたな、と思うことがあります。
これは、ひとえに、運が良かったから。
でも、そんな僕でも、上司と喧嘩して、
思いっきり給料を下げられた経験もあります。
今日は、SPAで、身につまされる話を見たので紹介します。
「独立は若いうちにするべき。たとえ失敗しても挽回できますから」 腰の痛みに顔をしかめながら佐内眞さん(仮名・54歳)は語る。佐内さんは、5年前に国内大手通信会社を退社。紆余曲折を経て、現在は家電量販店のアルバイト店員をしている。 「出世コースには乗れませんでしたが、それなりに評価はされていました。10年前にタイに駐在し、現地の法人営業を任されるまでに。しかし組織変更があり、新しく赴任した上司とソリが合わず、適当に無視していたら、帰任を命じられたんです」
帰国後に佐内さんが配属されたのは、「新規事業部」。 「『新規事業』とは名ばかりの追い出し部屋でした。耐え切れずに49歳で退職を決意し、ファストフードのフランチャイズオーナーとして独立したんです。飲食は未経験でしたが、現場は従業員に任せて、自分は経営に専念すれば安泰だと軽く考えていました」 しかし、そこに落とし穴が。 「スタッフは無断欠勤は当たり前、口頭で注意すると『じゃあ辞めます』と退職を叩きつけられる。明らかに僕のマネジメント能力不足です。人手が足りなくなり、僕も店頭に立つようになりました」
やがて運転資金は底をつき昨年春、事業撤退を余儀なくされた。 「50すぎての転職活動は、想像以上に厳しかったですね。今はアルバイトで年収は250万円。タイにいたとき、もっと上司とうまくやっていたら……。会社で生き残るためには、人事権を握る上司との関係は何よりも大事だと当時の自分に言い聞かせたい」 現在は90歳になる両親の介護問題が浮上している佐内さん。 「妻が協力的なことが唯一の救い。一生頭が上がりません」 今日も佐内さんは、老体にムチ打って家電量販店の店頭に立つ。
うーん、 一度レールから外れると、
挽回しずらいとよく言われるのが、日本。
そうなのかもしれません。
ただ、この人の救いは、奥さん。

良い奥さんで良かったと思います。
世の中は、良い奥さんばかりではありませんよ。
旦那の稼ぎがなくなると同時に三行半、
なんてことも聞きますから。
老体に鞭打ってと言っていますが、まだ54歳です。
70歳まで働く社会と言われていますから、
まだ先は長いですよ。
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